EW&Fアルバム「Heritage」から感じた、温故知新

Ewf_heritage_300s_2 久しぶりに引っ張り出してきたCDを聴きながら、とめどなく溢れてきてしまった猛烈なる独り言を。

Earth, Wind & Fireの「Heritage」ってアルバムで、かつて栄華を誇ったものの時代の移り変わりに飲まれてしまいドラッグ漬けからの更生まっただ中、むしろ忘れ去られかけ引退寸前だったソウル、ファンクの重鎮スライ・ストーンをしれっとゲストに呼び寄せて1曲がっつり歌わせてた・・・というのが、今振り返ってもあまりに先見の明過ぎてすごいなあって思うんですよね。

その後スライ・ストーンは次第に表舞台へ復活を始めて93年にはロックの殿堂入り、2006年にはグラミー賞パフォーマンスで返り咲いています(残念ながら最近は権利関係のトラブルに遭いホームレス生活とのこと…)。

また別の曲では、この時点ではまだブレイク秒読みだったMCハマーを前面に出して当時最先端のラップミュージックを披露、それがなんと後になってMCハマーは一世を風靡するという、これまた先見の明を辞書で引いたような輝けるプロデュースぶりが、グループの総帥モーリス・ホワイト随一の存在感をこれ以上なく示してます。

モーリス・ホワイトはそのあたり、リスナー寄りにウケを意識した面もあろうものの、本質的には純粋に、アルバムタイトルである「Heritage」というコンセプトに忠実に製作してアウトプットした結果なんだろうなということが想像つきます。


そういう、過去に華開いた歴史、遺産「Heritage」に最大限の敬意を払いながらも、同時にどこよりも新しい音楽を生み出して受け継いでいくというのが、このEarth, Wind & Fireというグループはもちろん、ソウル・ファンク・R&Bの界隈ではダントツに抜きん出ているんですね。

もちろん、もっと一般的なポップスやハードロックでも、トリビュート企画やカバー作、楽曲レベルで影響を受け継ぐ・・・ということがそれなりにあるけれど、ソウル・ファンク・R&Bにおいてはその「濃さ」がスケール違い。


つまり単なる懐古主義にも新しもの好きミーハーにも、どちらにも偏らず、その濃厚な歴史まるごとをぶっといパイプでつないでいることが何より素晴らしいのです。他に僕が大好きなスティーヴィー・ワンダーも、クインシー・ジョーンズも、そういうところは同じ根っこの上にある。

いつ聴いても「温故知新」というものの重み・大切さを、言語ではなく音で語りかけてくれるところが、僕がソウル・ファンク・R&Bを好きな理由なのかもしれない、きっとそうに違いないということを感じました。

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楽器の楽しさに目覚めるとき

国内ピアノメーカーの苦悩~年間1万台割れ目前、中国・新興国強化の行方
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2966.html

この報道について、iPadで電子楽譜を実現するアプリ「piaScore」を開発されている小池宏幸さんがご自身のフェイスブック上で言及なさっていたご意見がとても印象的でした。

いわく、「アコースティックピアノが売れなくなっている」問題は「楽器演奏に魅力を感じる人が減っている」問題でもある・・・と。

総務省の統計によれば、音楽を趣味とする人は5年で0.8%ずつ、約100万人ずつ減っているそうです。(社会生活基本調査: http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL02100104.do?tocd=00200533

また、音楽教室の生徒数も、少子化による人口減よりさらに勢いづいて減っていることが数字で裏付けられています。実際の数字を目の当たりにすると、やはりと思わずにはいられません。僕自身の肌の感覚でも日々常々、思うところがあるのです。


僕が楽器演奏に目覚めたきっかけのひとつは、テレビで放映された、とあるミュージシャンのライブ演奏でした。(特定の一人というわけでもなく、色々な人たち)小学生の終わりがけだったか・・・それらを観て「すごい!かっこいい!」と心に電撃が走ったことを今もはっきり覚えています。

そう、当時は、メディア越しに出会う音楽って、すなわち人が演奏するものでした。その中にはいわゆる「かぶせ」(レコード音源を流して弾いているマネだけ)もあったと思いますが、おおかた、音楽は人間の手で演奏するという大前提が存在していたと思います。すてきな演奏をする姿を見て自分もやりたい!と憧れるのは、とてもわかりやすいきっかけだと思うのです。

それがどうも、特に90年代中後半から、ステージの上には歌い手さんだけが立っていて、その他の音は「後ろで鳴っている」・・・という構図が徐々に受け入れられ、それがどんどん当たり前になっていったと記憶しています。ステージに演奏者や機材を並べるのは、番組制作の予算都合で真っ先に削られたところと想像します。もっと言ったら、それと並行するように音楽番組そのものもどんどん消えていきました。ますます音楽が身近なものではなくなっていった。

これはちょうど、PCがWindows主導で急速に普及して、PCで音楽を作る環境がどんどん整い、周辺機器の性能も上がり価格も下がり、プログラミング音楽の裾野が爆発的に広がった時期とだいたいシンクロしています。(当ブログで以前にも言及: http://sakuman390.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-704e.html

僕自身はデジタルや打ち込みも大好きで、そういった機材も生楽器も触りつつ、人力とのハイブリッドを常に目指し続けながら今に至っておりますが、ビジネス的には残念ながら、プログラミング可能な音楽⇛音楽制作の省力化⇛リソース減という流れを生み出してしまったのではないかとも考えています。


その証拠に今や、「音楽のパフォーマンス」と言えば、だいたい大勢でのダンスが主体になっている、というのが日常の風景になって久しいです(表現としてのそれ自体を否定しているわけではありません。が、音楽の演奏というものにかつてほどのスポットが当たらなくなっていることは間違いないと言えます)。

またごく少数ある「音楽番組」においても、ミュージシャンや曲紹介で、例えば「最近はまっている食べ物」「PV撮影のためにヒゲを生やした」など、音楽そのものとはまったく関係ないコメントが並び、肝心の音楽について一言も触れられないのも当たり前。

だから演奏されて奏でられる音って、完全に舞台の裏なんです。後ろから聞こえてくるだけ。これでは楽器やりたい!って人も減るわけです。


そういった構造的な問題に対して、小さな僕等が何をできるって言ったって大きなことはできないかもしれませんが、音楽を楽しく頑張る、やり続けて、まわりの人に届けていく、というのは命ある限り続けていきたいです。

それで、この人のやってることなんか面白そうって思ってもらえたら、そうして音楽を人生に取り入れてくれる人がひとりでもいたらうれしいですね。

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7/9 誕生日のミュージシャンと僕

本日7/9に誕生日を迎えられたお二人のミュージシャン。稲垣潤一さんと細野晴臣さん。

ものすごく個人的もいいところですが、僕にとってこのお二方に共通するのは、自分が音楽に目覚めて深々と手を染めていくきっかけになった方たちということです。


220056069稲垣潤一さんは、小6か中1かの頃、ミュージックフェアで歌っているのを聴いてとりこになり、その興奮冷めやらぬまま家にあったCDプレイヤーで自分の意志で音楽を聴くようになった…というできことを、今でも鮮明に覚えています。

人生で初めて音楽に目覚めたとも言える曲が、この時歌われていた「ドラマティック・レイン」なのです。以前に制作したカバーアルバムでも取り上げました。

個人的には、マニアックですが、「長い髪」の「が」に出てくるドミナントのコードが、E7+9というやつですけども、長三度と短三度が同時に発せられ、杓子定規に考えたら不響であろうはずなのに、何故だか妖しく共鳴しあう不穏な美しさに打ちのめされた最初の曲です。

構成音はE、G#、B、D、Gというとても緊張感のある響き。なーんて後づけの理屈は当時は分かりもしなかったわけですが、自分にとって好みの和音、進行はこういうものかも、ということを初めて意識した曲だったかもしれません。僕にとってのDNAです。


Sealedそしてもうお一方、細野晴臣さん。YMOを立ち上げたその人です。

僕がYMOにはまったのは中学時代~でしたが、リアルタイムでも何でもなかったため、まわりに同志は一人もいませんでした。冗談抜きで変人扱い。

でもそんなことおかまいなしにただひとり、黄色魔術にのめり込んでおりました。

YMOについて本格的に語り始めると自分自身が制御不能になるので簡潔にとどめますが、高橋幸宏さんのキャッチーさ、坂本教授のアカデミックな色彩的音像、細野さんの揺れるグルーヴ、3つの奇跡的融合体である事は言わずもがな。

この文化財とも言えるプロジェクトの発起人である、細野さんの存在は偉大です。

細野さんの手がけた曲でどれか1曲選ぶというのは難しい。確実に、最多回数、聴いたであろう曲は恐らく「SIMOON」です。

YMOで最初に惹かれたのは例にもれず?「RYDEEN」「TONG POO」といった、走り抜けるような派手な曲だったので最初はこの「SIMOON」には耳が行きませんでした。

ただそういった分かりやすい曲を何度も何度も聴いていくうちに慣れてきて、ちょっと変わったほうに寄り道しようと別の曲を選んで繰り返すうち次第にはまった、いわゆるスルメナンバーです。

およそポップでも何でもない変態曲ですが、人生で初めて触れた、アラビア的要素を含む音楽です。しかしそれにとどまらないのがYMOの恐ろしいところで、柔らかい音色のメロディでゆったりまったり進行しながら、唐突にトゲトゲしい電子音が入り乱れたり、とにかくあらゆるすべてが初めての音体験。

そういう、一聴してキャッチーではない音楽が自分の中に刻まれたことによって、自分の中で様々な音楽が入り乱れるのがアリだと思える大きな土壌になったのだと思っています。


どちらも自分の音楽魂の奥深く、奥深くに刻み込まれしかも今なお影響が強いのです。なので自分にとっても、とてもありがたい一日。お二方とも、おめでとうございます!

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ウマスタジオ見参!

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愛知県日進市のリブテックさんに施工していただきました。
6畳和室+1畳押入が、昼も夜もバッチリの防音ルームになりました。
ありがとうございます!
http://www.livtech.jp/

これからの僕にとって自分を癒す場所になり、自分を磨く場所にもなります。

この部屋、どうやら時空が乱れているようで
時間が経つのがあまりにも早過ぎるのが困ったところです!

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サイトリニューアルのお知らせ&おまけ(歴史探訪) - 後編

さて本サイト「ウマスタジオ」の前身、「SK WebStudio++」について、前回の記事(リンク)で歴史をご覧いただきました。今回はその続き、さらにルーツをさかのぼってみたいと思います。


2004年4月18日

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その昔は「++ Sakuma World ++」という名前でした。何とも微笑ましい。

この名前は大学時代、同じゼミだった人から命名してもらったものです。ワールドがつくほどの 変わり者 個性的という意味を込めて授けられたのだと記憶しています。

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「自己中」「見せびらかしたい」などなど、とっても素直なキーワードが並びます。

この頃は僕にとっては、社会人と学生時代の境界線にあたります。これ以降さらにさかのぼるに従って、モラトリアム真っ盛りな雰囲気が、どんどんとよみがえって参ります。


2002年4月21日

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ここまでくると、「ほーむぺーじ」的な前時代の香りがプンプンしてきますね。

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うっわー、かつての愛車まで顔を出してきました。

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ひとり旅もしたみたいです。平成12年だから、もう13年も前か。

読み返すと相当フリーダムにやっていた様子。これは…親にしたら心配でしょうがなかっただろうとしか思えない素行の数々。親の心子知らず。今さらながら思い知らされます。


2000年5月29日

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こちらが最古のバージョンになります。

何つっても、ひらがなで「さくまワールド」ですよ。ロゴバナーから背景の画像から、すごい。やばい。今となっては見る影もないですねえ。

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歌詞を載せているページ。中学時代から楽器をかじるようになり、曲作りもそれとほぼ時を同じくして始めましたが、歌詞を書くようになったのはだいぶ後発で、この高校~大学の頃です。自分にとってはまさに挑戦だったのです。

そんな「原点」と、こんなところで再会することができました。


という具合の、ちょっとしたタイムトラベル。

古いものほどいわゆる「よその目」をまったく気にしていないようです。これは「若気の至り」という理由ももちろんありますが、インターネットという媒体そのものがかつて持っていた、田舎的な雰囲気によるところも大きいのではないかなあと思います。

「え、インターネットって世界中とつながっているんじゃないの?」と思われるかも知れませんが、例えばツイッターのリツイートやフェイスブックのシェア、ブログのトラックバック…など、今時のウェブでは当たり前になっている情報拡散のしくみが、昔(と言っても、ほんの10年ちょっと前)にはまったく存在していなかったんですね。

既知の大手メディアの発信するものを除いては、情報が広がるのはあくまで、隣の人と1対1でちまちまとつなげていく相互リンクと、その草の根的な広がりがベースでした。双方向メディアとは言いながらも、今と比べると格段に、現実的に交流可能な範囲が限定されていたのです。

著名な方も一般人も存在する空間であったことは確かだけれど、それぞれが別け隔てなく入り乱れること(少なくとも先ほど書いたような、ツイッターやフェイスブックで起こる偶然・必然のコンタクト)はまず起こりえず、それぞれがほとんど並行して異なる世界を生きていました。当然、いわゆる「炎上」なんてものもまず発生しない。

何ともローカルな場所だったなあ…という肌の感覚を思い出しました。


その一方、自分も周りもゴロゴロと変わっていった中で変わっていないのは、何を今さらですが、音楽が大好きということ。

サイトの見てくれや中身がゴロゴロと変わる中でも、音楽に関するコンテンツは肌身離さず、常にどこかに携えながらここまで来ています。

「音楽」の中でも生演奏だったりバリバリ電気音だったり、時には絶唱物、時にはピアノ一本、歌なし、クラシックにジャズ、ラテン、J-POP・・・など手当たり次第に聴くものを選んでいますが、ひっくるめて唯一のキーワードはやっぱり、音楽大好き、これに尽きるのです。

それは自分自身がさまよって求め行き着いたものもあれば、人から紹介を受けて衝撃が走ってはまったものもあります。それぞれにきっかけと思い入れが刻まれていて、今に生きています。

だから「昔のほうが良かった」と言うつもりも、逆に「若かりし頃は…」と言うつもりもなく、ひとえに「あの時があったから今とこれからがある」ということを再確認できました。「れば」「たら」ではなく、純粋に歩んできた事実。

恥ずかしい過去も含めて、それが今の自分を形づくっているし、これからの自分につながっていきます。それは自分のページに限らず、生き方そのものがそうなんです。

そんな僕です。これからもどうぞよろしくお願いします!

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