物理モデリングピアノ音源「Pianoteq4」!

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新しいPianoteqキター!!

華麗なるバージョンアップ。
音のリアルさが更に増して、うちのデジピがグランドに化けたみたいな気分です。

※説明しよう、Pianoteqとは、よくある「録音されたピアノの音を打鍵時に発音する(サンプリング)」楽器ではなく、胴体、弦、ハンマー、響板、ペダルといったピアノ自体の構造をコンピュータ上へ仮想的に再現し、打鍵とともに実際に出る音を演算。これにより生まれる、リアルな弦の響きや豊満な共鳴音の洪水に酔いしれることができる、究極の物理モデリングMIDI音源なのです。しかもなんとそのサイズ、わずか20MB!

この素晴らしい音を手軽に試せるトライアル版もありますので、MIDIピアノを持て余している方はぜひ一度トライしてみて下さい。
http://www.pianoteq.com/home

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2012/03/18 コンサートやりました

気がつけば1ヶ月が経ってしまっているわけですが、撮って頂いた写真など含め、ようやくこの日を振り返ることができましたので記録に残しておきます。

今回はお友達のおとぎさん(通称:おとぎん)と二人で、楽器を取っ替え引っ換えするデュオ「吟遊詩人」として、彼女の地元である岐阜県瑞浪市の釜戸公民館で演奏して参りました。

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会場のピアノを軸に、おとぎんのバイオリンや僕のギター、そして二人の鍵盤ハーモニカを随所に織り交ぜ、童謡からジャズスタンダード、JPOPまで、これでもかと言わんばかりの奔放な選曲でお届けしました。

[演奏曲]
01. イパネマの娘
02. 浜辺の歌
03. デスペラード
04. トップ・オブ・ザ・ワールド
05. 枯葉
06. 小さな木の実
07. 星に願いを
08. 四季「冬」のラルゴ
09. オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
10. アムール河の波
11. 雪の華
12. ふるさと
13. さくらさくら幻想曲
14. 上を向いて歩こう

曲順は、四季の旅がコンセプト。夏らしいボサノヴァから始まって春で締めくくるイメージ…という、おとぎんの素晴らしいアイデアが基になっております。

今回実は一曲も、声を出しておりません。

このお誘いを最初に頂いて大まかなイメージを聞いた時、(きっとおとぎんの希望もそうだったと思いますが、自分個人としても)今回はあえて全く歌を持ち出さずに演ろうと決めました。それはコンサート全体のバランスを考えたこともありますし、僕自身の中で、歌声を使わない音楽表現を全面に出すことへの挑戦をしたかったのです。

また、それまで作曲やレコーディングを活動の主軸にして十年以上もやってきた自分が今、その頃のように時間を取ることが難しい中、音楽の原点たる「楽器演奏」に今一度力を込めるきっかけになるという思いもあり、今回のスタイルを楽しむに至りました。

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会場には地元の方を中心に80名ほど集まって下さり、何とも暖かい雰囲気の中を楽しく演奏させて頂き、あっという間でした。練習どおりにできたものもあれば、大コケしたものもあり、しかしそれら全て込みで、自分自身にとっても大変な勉強になりました。

県はお隣ですが、高速に乗ったら一時間もかからずにお邪魔することができます。公民館の職員の方々も快く迎え入れて下さり、本当に夢のような時間を過ごすことができました。もし機会を頂けることがあればまたぜひ頑張らせて頂きたいと思います。

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(Photos by @wohya)

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愚痴との付き合い方 (「人に嫌われる理由を考える」を読んで)

突然脈絡もなく、目指す処世術のような記事を。
次の記事を読んでいろいろと考えさせられました。

人に嫌われる理由を考える | 心の流れ
http://i-concept.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-2f98.html

  1. 自慢の多い人
  2. 愚痴の多い人
  3. 横柄な態度の人

人に嫌われる3タイプ。
これらは同時に、強い負の伝染力も持っています。

例えば上司がこんな人だった場合、自分に向けられたこれらの悪い「気」をその場で消化することもできないために、一人で抱え込んだり、別の相手にそれをしてしまったりしかねない。恐ろしく悪い「気」です。

そして自分の周りで思い返す限り、この悪い「気」を撒き散らしている当人はどなたも、まさか自分がそのような態度を取っているなどとは夢にも思っていません。例えば、愚痴の多い人ほど、自分が愚痴ばかり言っていることに気づいていません。気づいていないからか、愚痴の内容もいつも似たようなものになります。同じことを繰り返し、文字どおり「呪文のように」聞かされることになります。

翻って、特にこの3タイプがごく身近にいるという人は、自分自身が図らずも、この悪い「気」を受けて自分も同じ事をしてしまっているかもしれないという気持ちを、どこか常に携えておくことがとても大事なのではないかと思います。

そうすることで、「あ、今から口走る事は愚痴に聞こえてしまうかも」と瞬間的にでも思ったら、飲み込むこともできるからです。

・・・いや!

飲み込むのは精神衛生上、大変良くないと個人的に思うので、もう少し掘り下げて考えてみました。

愚痴が出そうになったら自分の表情をすぐチェック、固くハの字になった眉毛はほぐしてやる。そして口角も上げて、低かった声のトーンも上げてしまう。これぞメラビアンの法則の正しい(?)使い方。

そしてできるなら、その愚痴の内容に何か一歩でも立ち向かうことができないか、アクションを考え、その場でできる範囲で、口にも出してみたいです。どうせなら受け取った悪い「気」を、化学変化させてからアウトプットしたい。自分で自分の気持ちを言葉に起こしていくうちに、考えていることをきれいに整理できることってありますから。

悪い「気」が良い「気」へと昇華していけば、必ずや周りの人たち、決して全員ではなくても、誰かに笑顔になってもらえる。そんな振る舞いができることを、日々地道にコツコツと目指したいものです。

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みかんのうた

Mikan_s私の記憶が確かならば、これは2000年頃にひっそり8cmCDとしてリリースされた、sex MACHINEGUNSによる稀代の名曲である。

「みかんのうた」

このタイトルを耳にして眉をひそめられた方は、例えばこの曲がNHK教育Eテレの新しいスタンダード曲では…という推察をされた方であろうか。

聞いて驚くなかれ。この歌は全てが純然たる、ヘヴィーメタルなのだ。


「オレの魂の叫びだ!愛媛の心!!」このバンドのリーダーであり、ヴォーカリストであり、スーパーギタリストでもあるAnchang(アンチャン)の叫びによりこの曲は幕を開ける。ただし彼が愛媛出身なのかと言われると、たぶん違う。

待ってましたのヘビメタギラギラな爆発的イントロ。聞いて思わずヘッドバンキングをしてしまうそれは、まさしくレティクル座行超特急という趣だ。

そして心の叫びへなだれ込む。

みかんは色々あるけれど 愛媛のみかんは一つだけ

ここまでの自己主張がかつてあっただろうか。愛媛のみかんはただそれだけなのだという孤高の訴え。愛媛のみかんは、愛媛生まれであることを自覚して初めて、「愛媛のみかん」たりうるのだ。なんと哲学的なことか。この自覚までに至る一連の思考モデルは、デカルトが己を認知する際に用いた「コギト・エルゴ・スム」と同じ軸を辿っていることがお解りだろうか。

皮を捨てる奴がいる 皮を捨ててはいけないぜ
風呂に入れてあったまれば ポカポカ

こんな大切なことを、筆者含め大半の日本人が忘れかけてしまっていたのではないか。我々はみかんを体で感じなければならないのだ。そして日本の心を取り戻さないといけなかったのだ。

もしここまで読んで「アホくさい」などと思った不届き者には、すぐさまAnchangから命を懸けた罵声を浴びせられることだろう。

みかんを粗末にする奴は みかんにやられて死んじまえ

そんな魂の叫びなのだ。そして一見自暴自棄状態のように見える中にも「命の水だ ポンジュース」と敢えて実名を出すことにより、その決意の堅さを見せ付けるAnchang。彼は本物だ。


すでにお気づきの方もいらっしゃるであろうが、このように一見笑いを取るような形で、音楽・詞共にヘヴィーメタルのスピリットを埋め込んだバンドは、以前からも存在している。そう、筋肉少女帯だ。

誰もが知る大槻ケンヂ氏の特異なキャラ、コアな楽曲群、詞の数々は、例えば中原中也氏の作品に裏打ちされているような虚無感・喪失感であったり、文学的な背景を後ろに携えた手法によるものだった。それはそれらの文学がよくわからない人々にも「なんだか深い」と考えさせられる優れた手法であった。

それに対して、「みかんのうた」は一見、イデオロギーも何も読み取れない只のギャグソングである。しかしそれをして「なんだ、筋少の出来そこないかよ」などと切り捨ててしまうのはいささか早計だ。

比較するまでもなく「みかんのうた」に内在する、Anchangの胸に深く刻まれた思いは明白なのである。とどのつまり、彼はこう叫びたいのだ。

みかん みかん みかん
みかん みかん みかん
みかん みかん みかん
みかーん
       


未聴の方にはぜひとも聴いて頂くとともに、みかんの命を体で感じて頂きたい。

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人生初のMIDI音源 - KAWAI サウンドパレット (2)

Spb1僕の音楽人生における原点となった「サウンドパレット」。

前回の記事で簡単に紹介しましたが、ノートパソコンにつないで、画面にある16段の五線譜に音符を張り付けると、ビーとかプーとかそんな音で、味わい深くメロディを奏でてくれます。

頭の中で鳴った自分が奏でたいメロディを、楽譜として入力すれば、好きな音色で何度も再生できるという面白さ。

もちろん音選びを間違えればそのまま間違えて再生されるので、そこで自分の楽譜の書き方の間違いにも気づけます。

そして自分ひとりが16人分になりきってゴージャスに合奏できる!というのが、当時ラジカセにギター録音という手段しかなかった自分にとって、何より画期的なことでした。


しかし実際は、16段フルに使い切ることはできません。何しろ当時のパソコンの記憶容量や処理能力など、現行機のどうだろう…10万分の1以下ってところでしょうか。

数字ではピンと来ないかも知れませんが、特に当時品を知らない方ほど、実物を目にしたら「何だこれ使えない!」なんて思われるかもしれません。今の感覚でデータを入れていったら、まばたきもしないうちにすぐ天井が見えてしまうでしょう。

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 (参考)98ノートを起動した時の搭載メモリチェック画面  ※単位に注目!

しかし当時はそれが当たり前だったので、制約とも何とも思わず…というのは大げさですが、限られた容量をどううまく使って、頭の中にある音を表現したらいいだろう?と、工夫をこらす必要があったのです。できるだけ少ない音数で欲しい全体の響きを得る…すなわち「音の引き算をする」ことについて考えるきっかけになりました。

またメロディからコード、ベースやドラムと全てのパートについて、音符をひとつひとつ貼り付けていきますので、ある音符が全体で演奏させた時にぶつかってハモらないだとか、この音域で鳴らすと何となく全体の響きが濁るとか、そういうもろもろを、音符を貼り付けて消して…の繰り返しによって体感できたことも当時の外せない思い出です。


コードを覚えるにあたっても、サウンドパレットは強力なサポーターでした。

僕が本格的に自分で音楽を演奏したくなったきっかけはギターだったので、楽器の練習においては、まずギターのコードを覚えることから始めました。

Gmajor最初にギターのコードを覚える時は左手のフォーム全体で、これはこのコード、とひとつひとつ押さえ方で覚えていくので、例えばGというコードはこういう押さえ方をするけれど、じゃあ何の音が重なっているのか?というのは最初そこまで意識しません。

つまり楽譜を読めなくても左手の押さえ方さえ覚えれば、コードを鳴らせるということになります。

なのでギターのコードしか勉強しないと、Gコードの押さえ方は分かるけれど何の音が重なっているのか、何故Gはそういう音なのかさえ理解できないことになります。

それが、サウンドパレットを使ってGコードと同じ音を鳴らそうとしたら、Gコードに入っている音をひとつひとつ、マウスで貼ってやらないといけません。いやがおうでも書かれた楽譜とにらめっこしたりして、構成音のひとつひとつを意識します。

また、そもそもどうしてGコードはソとシとレなのか?その法則をちゃんと知ったほうがマウスで貼るにしてももっと簡単にできるじゃないか!…と、音楽の教科書や市販のテキスト、雑誌などで情報を漁るようになり、楽典に踏み込むきっかけにもなりました。


「音の引き算」にせよ「コードの成り立ち」にせよ、深く突き詰めようとすればするほど底無しの話ですから、もちろんサウンドパレットだけ使って全てを身に付けたとか極めたとか、そんなことはありえません。今でも分からないこと、知りたいことだらけです。

しかし間違いなく言えるのは、音楽に興味を持って取り組んだ駆け出しの頃にこのツールと出会えたおかげで、自分の欲しい音を追求することの楽しさを体で学べたということ。

サウンドパレットと出会わなかったら今の僕はない、間違いなくそう断言できます。

今どきNECの98ノートなんていうこれまた骨董品を、それだけの目的で手に入れるというのも難しい話ですが、この記事を書きながら改めて思い出した、かけがえのない当時の体験を胸にしまい、それを誇りにこれからも音楽と付き合い続けたいと思いました。

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写真左:後継機「ハイパーサウンドパレット」をPC-9801上で操作中(1995年頃)
写真右:現在保有している初代「サウンドパレット」本体と起動フロッピーディスク

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